藤野 真紀子

〜衆議院議員・食育料理研究家 藤野真紀子さん講演〜

健全な食卓で、健全な子育てを!

衆議院議員・食育料理研究家

藤野 真紀子 さん

1987 年ホテル・リッツの中にある料理学校「エコール・リッツ・エスコフィエ」でお菓子と料理を学び、ディプロマを取得。洋菓子専門誌「 ATTENTION 」にパリ便りを連載。 1992 年お菓子と料理の教室「マキコフーズ・ステュディオ」を主宰。 2005 年衆議院議員初当選。著書に『パリに行って、習ったお菓子』他多数。

食卓の現状

藤野 真紀子

私は個人的に十数年、親子で一緒におやつを作るという教室を通じて食育の活動にたずさわってきました。今日は、まず食育とは何か、なぜ必要なのか、そして、食育のネットワークを全国に広げていくために私たちは何をすればいいか、ということについてお話し申し上げたいと思います。また、いまあるさまざまな食育の切り口の中で、特に私自身のテーマでもある家庭の食の在り方についてもお話したいと思います。

家庭の食卓の現状ですが、いま小学生は1年間の食事のうち3分の2を1人で食べています。家族とご飯を食べる回数が小学生で年間300回を切っているんです。これは大変なことかなと思っています。では、どうしてこういう食の状況になってしまったのかということですが、1つには家族の在り方が変わって来たんじゃないかということ。核家族という言葉がありましたが、いまは核家族化というよりも無人家庭化、つまり、子どもがひとりぼっちに置かれてたった1人でご飯を食べている。そんな時代が来てしまったということです。

その要因はいろいろ言われていますが、1つには、女性のライフスタイルが大きく変わり、女性の社会進出が非常に活発になりました。国がやらなければいけない問題で男女共同参画問題というのがございます。これでいま大きくクローズアップされているのが、とかく女の人が外で働きやすい環境を作るということなのですが、同時にやらなければいけないのは、女性が家で子育てをしやすい環境を作ることなんですね。女性たちの気持ちがどうしても職場に行ってしまうことの1つの大きな要因の中に、出産や育児で休職すると、もとの仕事や役職に復帰できないということがあります。食育大事だよ、お母さんたちしっかりご飯作りましょうよと言ったとしても、社会の受け皿は本当に出来ているのか。これは国がきっちりやらなければいけないんじゃないかということです。企業の応援も必要です。企業も、地域も、学校も、お母さんたちを助けていく、そんなことを奨励していくことが大切だと思います。

お母さんがいないというトゲは痛い

藤野 真紀子

私自身は本当に食べることや料理をすることが大好きで、中学生のころには日曜日は三食自分で作っていましたし、結婚して外国で暮らしていたときには、オマールを伊勢えびに見立てておせちを作ったりしていました。ですから、自分の子どもには家庭の手料理を10年間くらい食べさせて、それから仕事を始めたんです。ところが、私の目が外に向いて、家族だけのためではなく、例えば料理教室の生徒さんや、雑誌や本の向こう側にいる多くの皆様のために食というものを始めた。そうすると、家庭の中が非常に寂しくなってしまった。そこで起こったのが、やはり子どもの心のほつれでした。

私は仕事に行くときも、料理学校に行って学ぶときも、お弁当を作らない日はないし、食事を作って置いていかない日はなかったんです。お鍋にあるものを温めなさい、ご飯は何時に炊けるようになっているから、と子どもたちには言っていました。ところが子どもたちから、必要なのはお母さんだったということを17〜18歳のときに聞きました。そのときに私は、世の中にはお母さんがいなくて1人でご飯を作って、妹や弟の分までお弁当作っている子がいるのに、あなたたちは甘えてはいけない、と言って自分の非というものを一切認めなかったんですね。それを言っている間は子どもたちとの心の溝は全く埋まらなかったんです。子どもたちには、ものすごく大きなケガをしても痛い。小さなトゲも痛い。お母さんがいないということは小さなトゲかもしれないけど、でも痛いんだということを分かってくれ、と言われました。そのときに私は初めて「そうだね」と言って、そこから少しずつ歩み寄りが出来たんです。

食卓というものは非常に大切だということ。人間を形成していくのは人と人の結びつきであって、食卓はその1つの大きなパイプになる、そんなことを私はお伝えしていきたいと思っています。

食育が始まった背景

藤野 真紀子

食育がなぜ始まったかということですが、これは世界的に、食の安心、安全の問題から始まりました。アメリカのフード・エデュケーション、フランスのル・ソン・ド・グゥ、イタリアのスロー・フード。それぞれお国の事情がございます。日本はというと、食育基本法というものを平成17年に作りました。世界の他の国々と違って、まず法律を作ったというのはすごいことだと思います。ではなぜ法律を作らなければいけなかったか。これは当たり前のことですが、何をどう食べようと勝手でございます。自由です。ところが、勝手に食べていたら子どもたちおかしくなっちゃうんですね。例えば学力が低下します。体力も低下しています。犯罪も低年齢化している。また、日本は世界一平均寿命が長い国なんですけれども、残念なことに健康寿命は短いんですね。世界で一番、健康寿命と平均寿命の間があると言われていて、女性は9年あるんです。寝たきりや、介護を受けなければいけない期間が9年間。これも日本の大きな問題です。

食育が始まった背景にはまた、農業問題や食料自給率というものがございます。それから地球の環境問題。私たちはこのまま日本で安穏と暮していたら、あなたたちの子ども、孫、そのまた子どもの時代に地球はどうなっちゃうのということを子どもたちに教えていく。そして、食品の安心、安全。これもいま非常にクローズアップされています。

こういった様々な問題を背景に、私たちは食育基本法というものを始めました。ご承知の通り、これは5カ年計画になっていまして、平成22年までの目標値が定められています。そして現在3つの大きな国民運動を進めています。1つは「早寝早起き朝ご飯」という国民運動。それから「健康日本21」という21世紀における国民健康づくり運動。そして「新健康フロンティア戦略」。これは先ほど言いましたように、健康寿命を延ばしましょうという運動です。

食育のいろいろな切り口を雑駁に申し上げましたが、その中で、やはり全ての基礎は子どもにあると思います。元気な子どもたちが大人を変え、そして日本を変えていく。それが一番早いんじゃないかということです。子どもたちは意外と変わるんですね。吸収も早い。そして、お家に帰ってお母さんやお父さんに習ったこと、体験したことを伝える。そうすることによって、お母さん、お父さんたちが気づきをしていただいて、そして家庭が変わり、世の中が変わっていくということです。

食卓は感情の受け皿

藤野 真紀子

それでは、なぜ食育をやらなければいけないのか。なぜ子どもたちに食育が必要か。問題があるからですね。そして、そこに食というものが大きくかかわっているからです。

フランスでは、子どもたちの言葉の乱れが食育に取り組む1つの理由だったと聞いています。実際食育のメソッドを12回やることによって何が伸びたか。国語の能力だそうです。また、朝ご飯を食べると子どもたちは何の能力が伸びるか。確実に平均点が上がるのは算数と理科なんですね。1960年代は、日本の学力は小学校の算数と理科で1番だったんですよね。いま5位と6位に落ちています。これも朝食欠食がすごく大きな理由になっていると言われています。

また、いまは子どもがたった一人でご飯を食べている、孤食の問題があります。いまお母さんたちは忙しくなってしまったので、お家の台所をあまり使わないんですね。だから、お母さんが料理をしている後ろ姿があまり見えない。お母さんがパッと買ってきたものをポンと置きますと、突然食事が目の前に現われることになる。

これは私の孫の話なんですが、「今日はお母さんが作った餃子を食べた」と言うんです。娘は子どもが3人もいますから、「えっ、赤ん坊抱えながら作ったんだ」と驚くと、娘は「いや、そうじゃないの。買って来たんだけど、作ったんだよ」って言ったんですね。そこが1つ大事なポイントだと思うんですが、焼く前の状態のものを買ってきてフライパンで焼いたというんです。作るところまでは買って参りました。でも、お母さんが一手間かけて焼くという後ろ姿を子どもが見て、待つという楽しみがありました。世界でたった1人、自分だけのためにやってくれているお母さんの後ろ姿を見ていました。それが、私のところに来たときに「お母さんが作ってくれたんだよ」という言い方になっているんですね。

ひとりぼっちでご飯を食べていると、何のルールも無いんです。たったひとりで生きるんだったら、何をどうやろうと構わないかもしれない。でも、私たちは共同生活。こういった社会の中でルールを守りながら、お互いのことを考えながら、相手にいたわりの気持ちを持ちながら生きていかなければならない。その一番小さな社会が実は家庭であって、その家庭でたったひとりぼっちだと、全く訓練がされないことになります。私は動物と人間の違いは文化だと思います。動物もものを食べますけれども、人間はそこに文化を形成する。そういった文化の継承、そして人間らしい生き方をしっかりと訓練するのが家庭ではないか。その1つの訓練の場所としてふさわしいのが食卓ではないのかなと思っているんです。

食卓はもう1つ、子どもたちのいろいろな感情の受け皿になる場所だと思っています。こんな楽しいことがあった、こんな悲しいことがあったということを家族と共有する場所。例えば、子どもたちが思春期にすごく頑なな心を持ったとしますよね。私たちにもずいぶんあったんですけれども、親子の関係がぎくしゃくしている。そのときに、まず食卓についたり、ここで小休止しようということで手作りのお菓子をお互いに作ったりする。そうすると、すごく気持ちがリラックスしてきて、いままで頑なにしゃべれなかった子どもが、食べるという行動によって話すきっかけが出てくるようになる。そういったことも、子どもたちの心の形成に非常に大事なのかなと思っております。

そんなことも含めて、まず私は“家庭の中でのサポート”というものが一番大切なことかなと思っています。

夢は食育スタンプラリー

藤野 真紀子

食育にはそういったいろんな切り口があるのですが、1つ本当にやってみたいなと思っているのは、さまざまな食育の活動を1つのネットワークにつなげるということです。例えば、いまホテルメトロポリタンエドモントの中村勝宏シェフがやっていらっしゃる子どもの味覚教育や、私が十数年やってきたおやつづくり、各地で皆さんが取り組まれている食育の活動、そういったものを、1つのスタンプラリーのような形にしていけないか——。いろいろな食育に参加してスタンプが5個集まった。そうしたら例えば服部幸應先生のところで表彰してもらう。それを全国でみんながやっていけないかなと思っているんです。最終的に、“食育バッヂ”でも“マイスター”でもいいんですが、何かお免状をあげて、その子たちが次は食育の企画が出来るようにする。そうやって子どもたちに長期にわたって縦の関係を築きながら、食育を定着させていく。そんなことを夢として考えています。

私は東京生まれ東京育ちですが、結婚するまでの24年間ずっと、祖母の出身地である長崎県平戸島の味を食べて育ちました。そして外国に行ったときに初めて、日本食が恋しいと思ったんです。小さいときに、これが日本食だよ、平戸島の味だよなんて何も言われていない。ただ食べただけの経験でした。いま盛んに愛国心ということを言いますけれども、ふるさとを愛するとか、家族を愛する、親を敬うという言葉を聞いただけでは、それがどういうことなのかは分かりません。でも、それを365日、ただ家庭で食卓を囲むという体験を通じて悟ることができる。これが食卓の非常に重要なところだと思うんです。ですから、私は心も体も本当に丈夫で健全な次世代の人たちを育てるために、いましなければいけない地道な活動が食育なのではないかなと思っています。

(2007年11月2日 ウィズガスCLUB主催「第3回食育指導員養成講習会」にて)