椎名 誠さん

毎日新聞「食」移動支局、ウィズガスCLUB共催〜食育フォーラム〜

旅の食卓

作家・椎名 誠さん

作家、雑誌編集長、映画監督など幅広い分野で活躍。「岳物語」「黄金時代」など多くの著書がある。世界各地を旅し、その国、地域独自の食に触れ紹介している。

僕はたき火で暖をとり、火を見て楽しむが、日本でたき火をするのは難しい。外国は、生活の手段としてたき火をする。日本のように良い悪いという概念がない。

北極圏の先住民は、アメリカではエスキモー(生肉を食う人)、カナダではイヌイット(真の人間)と呼ばれる。日本では差別語ともされるが、彼らは「俺たちはエスキモーだ。生の肉を食べる」と言う。

北極圏に木や草はない。燃やすものがないから生肉を食べる。しかし、生肉や血からビタミンCを摂取することで、今日まで健康でいられた。素早くアザラシを解体すればマイナス35〜40度の氷上で、暖かい肉が食べられる。腹を割き、筋肉と皮膚の間から出てくるイモムシを食べる。寄生虫は宿主の養分を含んだ補助栄養になる。彼らは生であらゆる物を食べないと生きてこられなかった。だから簡単に生の肉を食うなんて批判することはできない。

モンゴルの大地は降雨量が少なく、冬、吹雪いて北側の斜面に積もった雪の水分で木が育つ。春、霧で道に迷った時、木が見える方向が北だと教えられた。遊牧民は牛の糞を干して燃やす。完全リサイクルの燃料を利用している。

ニューギニアの南方の島に行った時、バナナの皮にくるんで丸焼きにしたサメを食べた。島民は外国人を警戒して絶対に笑わない。しかし、たき火を囲んでサメ肉を食べると顔がほころんだ。日本語で「うまいね」と言うと通じた。目の前に広がる青い海や空を互いの言葉で話すと会話になった。帰るころには互いに涙を流すほど心が打ち解けた。

東京に帰ると、整然とした階段やしょうじのマス目、角ばった三角定規に違和感を覚えた。島で見ていた風景は、流れる雲や空、波に吹かれる葉。そしてたき火の炎。自然界に存在する形は不定形だった。私たちが普段目にする都会の風景は角ばっている。目にきつく神経をいらだたせ、疲れる。だから旅に出たくなる。

炎は常に不定形で、やるせなさと良さがある。日本でいつまでもたき火を規制していると、子どもたちは火の扱い方を覚えず、コントロールもできない。大災害が起きたら、たき火くらいできないと生き残れない。

子どもはたき火と木登りくらいは体験しないとダメだ。授業中、窓から流れる雲を見る子どもは自然な姿だと思う。「あの雲に乗りたいな」と思う方が大きな可能性を感じる。

(2008年11月24日・東京都江東区豊洲「東京ガス ガスの科学館」にて)

椎名 誠さん

世界のあちこちを旅して、その国ならではの食べ物に触れてきた。

肉文化のモンゴルでは、初めて日本のおにぎりを見たモンゴル人が青ざめて後ずさったという。米を見たことがないので、日本人はウジ虫の塊を食うのかと驚いたようだ。

北極圏では、エスキモーは生で肉を食す。アラスカでエスキモーの狩人と旅をしたが、彼らはアザラシを氷から引き上げるとすぐにその腹を引き裂いてその場で食べた。温かいうちに食べられるからだ。

筋肉と皮の間には寄生虫がいて、腹を引き裂くとこれらがいっせいに逃げ出すのだが、エスキモーはこれも食べる。さすがに僕も驚いたが、しかし考えてみれば汚くはない。便所のウジ虫とは違うし、宿主の養分をたっぷり吸った栄養十分のサプリメントなのだから。13、14歳くらい女の子たちはその腸を好んで食べた。腸をびゅうっと取り出してかみ切って腸の中身をチュウチュウと吸うのだ。僕もこれもチャンスかと吸ってみた。先入観があるから決してうまくはないが、まずくもない。強引に比較すると日本の塩辛の味と感触だった。

山では森林限界という言葉があるが、地球規模では北極圏と南極圏も森林限界がある。北緯70度から北は草も木もない。燃やすものがないから煮たり焼いたりができない。そんな中で寄生虫も腸も、貴重な栄養源なのだ。 アマゾンでは、吠えザルを食べた。皮をはいで腸と脳みそは捨て、後はすべて一つの鍋でジャガイモと煮る。「サルジャガ」だ。これもまずくはなかった。ベトナムでは、コブラの肉を揚げてパンにはさんで食べた。この「コブラサンド」はシャリシャリしてうまかった。場所が変われば食べるものもこんなに変わる。

一方、日本だけに見られる現象もある。ペットボトルの水がそうだ。日本には飲める水が流れる川が3万5000本もある。水道のインフラも完全、ガスもだが、これほど食生活の基本が完全な国は珍しい。それなのに、日本は水に対して世界で一番無神経。水は今世紀中に必ず危機を迎えるし、水を巡って戦争にさえなる時代に、わざわざガソリンより高い水を飲んでいる。そんな国は日本だけ。自販機でペットボトルが簡単に買えるが、自動販売機のために膨大な電力を使っている。 食品偽装で問題になった賞味期限もそう。本来は自分で決めるべきものなのに、数字で決めて捨てる。こうしたことに、大いなる矛盾があることをぜひ考えてみてほしい。

(2008年12月21日・・名古屋市中区栄「栄ガスビル ガスホール」にて)