小泉武夫さん

第4回 ウィズガス食育セミナー基調講演

「食育の先にあるもの」

小泉武夫さん(東京農業大学名誉教授)

食べ物に感謝する日本人

今日のテーマである「食育の先にあるもの」。いきなり結論から申しますと、それはまさしく、日本のこれからの国の力だと思います。生きるということは、単に体を動かして頭を使うだけではありません。やはり、モラルを持って、人格者として生きていかなければならない。日本には昔から、食を通して人間形成を行うという伝統がありました。例えば江戸時代には、人は食べ物に生かされているという世界観が明確にあり、食べ物の大切さを厳しく教えていました。当時の書物の中に、親が子どもに言う言葉が出てきます。「お前はいま誰から食べ物を与えられているんだ」と問う父に、子どもが「お父さんです」と答える。すると父は「そうだろう。それなら私に感謝しなさい。感謝しなければ箸を持つことは許さない」と言う。続いて父は、米を作ってくれたお百姓さん、魚を獲ってくれた漁師の人にも感謝の気持ちを持たなければ箸を持つな、食べ物を残すつもりならはじめから箸を持ってはならないと言う。とにかく、食べ物に感謝の気持ちを持つことを教えるわけです。そして、箸は単に食べ物をつかむ道具ではなく、感謝の気持ちを表す道具なんですね。

また、日本人が食事の前に言う「いただきます」という言葉。以前、ラジオの子ども電話相談室に、「どうしていただきますと言うの?」という質問が来たとき、回答者として出演していた永六輔さんがこう答えていました。人間は、生きている生き物以外は絶対に食べない。口に入るもので生き物でないものは、塩と水だけだ。人は生きているものの命を体の中に入れて、それで生きているわけだから、あなたの命をいただかせていただきます、という意味で、いただきますと言うんだと。日本は、イスラム教やキリスト教文化の国とは違い、神ではなく、食べ物そのものに対して畏敬の念を持つ。こういう国なんですね。

激変する日本の食

ところがどうでしょう。農林水産省の発表では、現在日本は、過剰農産物の処理まで入れると年間2000万トンもの食べ物を捨てているそうです。10年前に、私は『食の堕落と日本人』という本の中で、食べ物のムダの問題が10年後までに解決されなかったら、この国はもっとひどくなると書きました。ところがいま、解決されないどころか余計おかしくなっている。この本を書いた人間として、この10年間はいったい何をしていたんだろうとジレンマに陥ってしまいます。

そして、日本人の食生活が大きく変わる中で、非常に大きな問題が出てきています。今日は300人もの方がおられるので、中には沖縄出身の方もいらっしゃるかもしれませんが、沖縄がいま大変な状況です。厚生労働省の発表によると、都道府県別の平均寿命ランキングで、沖縄の、特に男性の順位がどんどん下がっています。ここ7、8年はベスト10に入っていたのが、現在は27位まで落ちているんです。なぜそうなったのか。沖縄はもともと、中国の影響を受けた医食同源、薬食同源の食生活が根付いていましたが、昭和20年でそれがほとんど消えました。沖縄にアメリカの軍隊が入ってきたからです。当時人口約86万人の沖縄に、アメリカの兵隊が20万人以上入ってきた。それに伴い、缶詰など肉の加工品がどんどん入ってきて、食生活がどんどん変わっていきました。

日本人の平均寿命はいま、女性がおよそ85歳、男性がおよそ80歳。世界一の長寿国で、何も問題はないのではと思うかもしれません。しかし実は違うんです。日本の平均寿命のとり方は実質平均寿命ですが、これはあまり意味がないと私は思っています。本当の意味の平均寿命は、健康平均寿命でなければならない。つまり、年をとってからも病気にならない人がどのくらいいて、その人たちの平均寿命は何歳かということです。これで見ますと、日本はそんなに長くないんです。健康平均寿命が高い国は、デンマーク、フィンランド、ノルウェー、スイスなど、社会福祉が徹底している国です。こういった国では、年をとった方も健康を保ち、人生の最後を楽しく謳歌しています。

食育セミナー 小泉武夫さん

地元の食材を食べると、自分の町が好きになる

私がちょっと残念だなと思った調査があります。農林水産省が全国280の市町村の中学生・高校生に、自分が住んでいる町が好きかどうかを尋ねました。その結果、約8割の生徒が「わからない」と答え、残りの2割弱が「嫌い」と答えていたんです。これは、日本の将来にとってはとんでもない問題です。

その中で、中学生も高校生も諸手を上げて自分の町が好きだと答えている町が、全部で14ありました。それらの町に共通していたのは、学校給食に使われる地元の食材の比率が高いということでした。例えば、高知県の南国市では、子どもたちにどこの誰が作ったか分からないようなものは食べさせられないということで、10年ほど前から農協、漁協、市が協力し、地元の食を子どもたちに伝える取り組みを行っています。地元の食べ物を食べさせ、子どもの農業体験や調理体験も進めてきた南国市で、どんな変化が起こったか。南国市教育委員会が発表したデータによると、まず病気がちの子どもが少なくなった。また、子どもの成績が上がった。いじめがなくなった。食べ残す子もいなくなった。この例からも分かるように、地元のものを食べさせながら、大人たちが子どもたちに素晴らしい世界を教えてやる、これは非常に重要なことなのです。

南国市のほかにも、生徒が自分たちでレストランを運営している三重県の相可高校、実習などに地元の小中学生も参加し、子どもたち同士で食育を行っている北海道の町立中標津農業高校など、素晴らしい食育の取り組みを行っている地域や学校がいくつかあります。

私の体験からしますと、食育の一番いい方法は、子どもたちに料理をさせることです。私は小さいときに母親が亡くなったので、小学校3年から自分で料理をしていました。父がまな板を買ってくれて、見よう見真似で始めたのですが、料理をしたおかげで運動神経がものすごくよくなりました。またいろいろなことを考えますから頭の回転もよくなった。しかし、それ以上に私が料理をしてよかったと思うのは、どんなに苦しいときでも、どんなに嫌なことがあっても、料理をしたら全部忘れられるということです。つまり、料理は素晴らしく気持ちの切り替えをさせてくれるんです。私はいまでも、食魔亭と呼んでいる自分の厨房で、1日1回は必ず料理をしています。料理をするとホッとした気持ちになり、いい気分で原稿が書けるのです。

食にかかっている日本の未来

日本人はいま、日本人が食べてきた本来の食べ物を食べなくなってしまいました。日本人はもともと、根茎、青菜、青果、豆、魚、海草、米、きのこ・山菜という8つのグループの食材しか食べていませんでした。これが和食です。日本人はこの50年で、ミネラルの摂取量が4分の1に減りました。ミネラルはアドレナリンの調節を助けますから、これが少なくなると人間はキレやすくなる。日本人がもともと食べていた食材は、魚以外はみんな植物です。植物は、地下からミネラルを吸い上げてそれを生きる糧にしていますから、ミネラルのかたまりなんです。魚も実は、ミネラルの水溶液である海水で暮らしているからミネラルは多い。こういった食生活をずっと続けてきたところに、一気に肉食が入ってきた。生活習慣病が増えたり、子どもがキレやすくなったりするというのは、当然のことだと言えます。

職業別に見て、いま日本で一番長生きをしている職業は何だと思いますか? 答えはお坊さんなんです。お坊さんが食べている食事は、ほとんどがさきほど挙げた8つのグループのものです。私は、いまいちど日本人が、このように食材を"選ぶ"ことで、心も体も豊かになっていくのではないかと思っています。来年度から小学校で英語が必修化されますが、私はむしろ、和食の素晴らしさや、日本の素晴らしい食の文化をきっちり子どもたちに伝えた方が、日本を大切にする子どもたちが増えていくと思うのです。

(2011年1月29日第4回 ウィズガス食育セミナーにて)