伏木 亨

食に人間関係を復活させよう

京都大学大学院教授

伏木 亨 さん

1953年京都府生まれ。京都大学農学部卒業、同大学院を経て現在、京都大学大学院農学研究科教授。専門は食品・栄養化学。著書に『人間は脳で食べている』(ちくま新書)、『コクと旨味の秘密』(新潮新書)、『子供を救う 給食革命』(共著、新潮社)、『おいしさを科学する』(筑摩書房)など。

自分で植えたピーマンはおいしい

子どもはたいていにんじんやピーマンが嫌いですが、それはきわめて正しい反応です。ピーマンなんて青臭いし、甘みもないし旨みもない(笑)。ピーマンがおいしいというのは大人の感覚であって、子どもはたぶん、本質的には野菜は嫌いです。でも、和歌山県にほとんどの子がピーマンが好きという小学校があったんですよ。どうしてですかと聞いたら、実は、小学校の中でピーマンをみんなで植えたんだそうです。その植えたやつをみんなで食べている。そうすると、全員が好きになる。興味を持つんですね。

また、嫌いなにんじんやピーマンも、それを自分で料理すれば子どもは必ず食べます。子どもに料理をさせる目的は、おいしいものを作るというよりも、いろいろなものを食べられるようになるために食に興味を持たせる。そのことにあるのではないでしょうか。

誰かに作ってもらったものに対しては、子どもはまず好きか嫌いかを自分で問う。そして、嫌いなら食べない。その料理の中に自分の積極的な関与がないから、好き嫌いだけで決めてしまいます。食育の目的というのは、好き嫌いの中にも、自分でその材料を買いに行くとか、自分で作らせるとか、もう少しいろいろな関わり合いを持たせることによって、食の体験を広げる、食の世界を広げるということにあると思います。 ですから、子どもと料理をするときは、子どもが嫌いな食材で作ったらいいと思いますよ(笑)。苦手なものは料理で克服できます。

食から学ぶ人間関係

伏木 亨

食べるということの中には、実は人間関係などいろいろなことが含まれています。 食べる場では、昔は誰がどこに座るなど上下関係もありましたし、誰が作って誰が後片付けをするとかいろんなことがある。結構面倒くさいことだと思うんですよ、食べるということは。そして、たぶん我々50代の世代が、そういう面倒くさいことをあるときバサーッと切ってしまった。食べることが、楽しいことだけになってしまったんですね。

食べることが楽しいということはもちろん大事です。でも、それ以外にいろいろある面倒なこと、例えば誰かのために作るとか、誰が作ってくれたから感謝するとか、みんなで一緒に食べるとか、そういういろんなことがあまりクローズアップされなくなった。その切り捨てられた諸々のことをもう1回復活させるのが、食育のひとつの目標じゃないかと思います。人間関係をそこに再び持たせるということです。 そのためにも、例えば買い物に一緒に行く、料理を作る、後片付けをする、それから、誰が作ったかということを意識させる。そういうわりと面倒なことを、毎日の食で自然にやらせることが大事なんだと思います。

自分が好きな日本の味を子供が嫌いなのはさびしい

食育にはもうひとつ、日本の伝統の味を子どもに伝えるという目的があると思います。

子どもは、放っておけば欧米型の食事を好きになってしまいます。油があって旨みがあって甘みがあるものは、言わなくても食べる。そういう食事の方がカロリーも高いですし、華やかな味をしていますから。私は、子どもに日本の伝統的な味を教えることによって、 自分が食べるものの基盤を作るということが大事だと思っているんです。 そのためには、日本の伝統的な食べものを好きになる。ご飯や、だしのおいしさなど、ずっと昔から人々が食べてきたものを自分もおいしく食べるようになることが、一番大事だと思います。

なぜそれが大事かといわれたら、それははっきりとは分からない(笑)。ただ、しいていえば、私は自分がいままで食べてきたもの、伝統的な煮物や魚を子どもが嫌いなのはさびしい。それがひとつ。それから、ずっと昔から日本で食べられてきたものには何かいいことがあるのではないか。それが何かは分からないけども、自分の代でそれを子どもに伝えないと、ひょっとしたら、子どもが大きくなったり次の世代になったときに、何か問題が起こるんじゃないかという恐れがある。もうひとつは、ずっと昔から食べられてきたもの、その食の長い歴史の中にいま自分もいるわけで、それは子どもに伝えないと先祖に申し訳ない(笑)。それが、私が子どもに伝統的な味を教えたいと思う理由です。


白いご飯を食べよう!

伏木 亨

そのためにお父さんお母さんにぜひやっていただきたいのは、ご飯を食べるということです。ご飯をたくさん食べれば、自然にそれに合うものを作りますから、野菜もだしも全部ついてくる。白いご飯を食べるということが、子どもに伝統の味を伝える一番簡単で強力な方法だと思います。

日本人のお米の消費量は、高度経済成長以降どんどん減ってきています。戦前は一人年間120〜130kgのお米を食べていましたが、今ではパンに押されて年間60kgを切っています。でも、お米なら日本で作っていますし、農家の人が近くにいて、その地域で作っているわけでしょう。食育でいわれている大事なことはすべて、“ご飯を食べましょう”でできるのではないでしょうか。

おかずについていうと、家庭で作るハンバーグなどは典型ですが、日本はご飯を中心に、西洋のものを全部ご飯のおかずとして取り入れてきました。それは続けた方がいいと思います。それをパンで挟んでしまうともう日本型ではなくなる。だから、ハンバーグはいいけどハンバーガーはよくない。パンはだめなんです(笑)。

食の好みは一代限り?

最近では、親と子どもが一緒に食事をしなかったり、親が子どもに何を食べたいか聞いたりしていますが、これはまずいと思います。食の教育という観点から見れば、親が、長い歴史の中で出来上がった食の文化を子どもに与えなければいけないのに、子どもが食べたいものを提案して親がそれに合わせるというのは、食育の逆流であり退行だと思います。

一方で、親は子どもの前で、大事だと思われるものをおいしそうに食べる。これはとても大事だと思います。無理矢理強制して食べさせても子どもは嫌いになるばかりです。子どもは親がおいしそうに食べているのを見て、ああ、自分も大人になったらこういうものを食べるのかなということを学んでいくわけです。そういう努力がないと、子どもの味覚も広がっていきません。それは結構怖いことだと思います。 というのは、食の好みは遺伝しないんです。好みは、親が子どもに教えて初めて伝わる。放っておいたらいつか子どもも自分が好きな日本型の食を好きになるだろうと思うかもしれませんが、それはありえない。もし子どもに何も教えなかったら、食の文化は伝わらないということです。

食べて欲しい味を子どもに伝えるのは、早く始めるほど楽です。幼稚園、小学校に行って子どもが自分の好き嫌いを作ってしまってからでは、親が無理矢理食べさせようと思ってもすごく大変ですから。

食は自分のアイデンティティー

伏木 亨

おいしさというものは、国によっても全然違います。子どものころから食べているものによって、何をおいしいと思うかはだいぶ違います。甘いもの、旨みのあるもの、油のあるものはどの国の人も好きです。ところが、香りの好みは国によってまったく違うんです。いわゆる風味というものですね。日本の鰹だしの風味は外国ではなかなか広まらない。みんな魚臭いといいます。

仕事で海外に行く機会も多いですが、海外に行くと、いろんな珍しい食べ物を探していながら、実は自分が理解できるようなものばかり探していることに気づきます。その国のものを食べながら、これは日本のなんとかに似てるなとか思いながら食べるのがおいしい(笑)。ほっとするという感じが強いですよね、食事って。自分のよりどころというか、これで明日も生きていけるという感じにほっとするというところがあります。 食は、毎日繰り返すことですし、特に何をしても威張れるようなことではない。そういうことをちゃんと淡々と伝えるって、なかなか難しい。食育って、そういうことなんだと思います。