日本ガス協会

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日本ガス協会について

ガスの記念日について

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ガスの記念日

 1872年(明治5年)10月31日※に、横浜の馬車道にガス燈が灯りました。
 わが国の都市ガス事業の始まりです。その100年後、1972年(昭和47年)に、日本ガス協会はこの日を「ガスの記念日」と定めました。
 また、2017年(平成29年)には「ガスの記念日」を一般社団法人日本記念日協会に登録しました。

※旧暦では9月29日になります。

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10月31日は「ガスの記念日」

日本の都市ガス事業は文明開化の地・横浜で始まった

 日本の都市ガス事業は文明開化の地・横浜で始まりました。1871年(明治4年)、横浜駐在のドイツ領事がガス会社の設立を神奈川県に申請。県は権益が外国人の手に落ちることを嫌い、建設業や旅館業などを手広く営む高島嘉右衛門(たかしま・かえもん)に相談しました。
 高島は準備会社である日本社中を結成、フランス人技師のアンリ・プレグランを招き、1872年、横浜瓦斯会社を設立しました。自前でガスを製造し、同年9月29日(新暦の10月31日)には横浜の大江橋から馬車道、本町通りに並べられたガス燈が点灯されました。

 このときは旧暦(太陰暦)でしたが、同年12月に新暦(太陽暦)が採用され、現在の暦となりました。横浜にガス燈が点灯した日を記念し、1972年、日本ガス協会によって10月31日が「ガスの記念日」として定めました。

ガス燈の出現で日本の夜が明るくなった

 ガス燈は文明開化の象徴として急速に普及、1874年には東京・銀座通りに85基のガス燈が設けられ、銀座名物となりました。
 最初、ガス燈の明かりは赤っぽい色をしていましたが、1886年、オーストリアのウエルスバッハによってガスマントルが発明され、青白い光に変わり、従来よりも、はるかに明るくなりました。1890年代にはガス燈が行灯(あんどん)のかわりに室内でも使われるようになりました。
 1900年代になると、全国でガス会社が事業を開始、1902年には「ガスかまど」も誕生し、煮炊き用に使用されるようになりました。やがて電灯が普及すると、ガスは明かりとしての役割から、料理や風呂など家庭用の燃料として普及していきます。
 その結果、現在では、日本全国で3000万件を超えるお客さまに都市ガスをご利用いただくまでになりました。ちなみに、都市ガスを供給する導管をすべてつなげると、およそ地球6周分に達する長さとなります。

時代とともに変化するガス利用

 リビング、キッチン、バスルームなどで、ガスは私たちの暮らしを快適で便利なものにするために欠かせないものになっています。さらに近年では、燃料電池「エネファーム」や高効率給湯器「エコジョーズ」の普及も進み、暮らしの中で省エネ・省CO2に貢献しています。
 学校、病院、オフィスや大型ショッピングセンターなどでは、ガス空調が普及し、節電・電力ピークカットに貢献しています。
 近年では、省エネ性、環境性に加え、東日本大震災後のBCPニーズの高まりを背景に電源セキュリティにも優れた分散型エネルギーシステムであるガスコージェネレーションに社会的な注目が集まってきています。今後、ガスコージェネレーションや再生可能エネルギーを組み合わせたスマートエネルギーネットワークが普及していくことにより、エリアの需要に応じてタイムリーにエネルギーが供給され、全体のエネルギー効率を高めるだけでなく、エネルギーセキュリティも向上することなど、都市機能の価値向上にも期待が寄せられています。さらには、将来の低炭素社会にも貢献できる天然ガス利用に向けて、いろいろな調査・研究を進めようとしています。

~ガス事業における技術開発年表~ 

ガスと暮らしのモノがたり

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第1回:明治① 文明開化を照らしたガス燈

 日本で最初に実用的なガス燈が使われたのは1871(明治4)年の大阪造幣局。金属を溶かすのに用いるコークスを石炭から製造する際に発生するガスを、ガス燈に活用しました。ガスと暮らしの歴史は、照明から始まったのです。
本格的なガス事業の幕開けは明治5年の横浜で、居留地に住む外国人の声に応えてガス燈が立てられます。事業の創始者はフランス人技師のアンリ・プレグランと、実業家の高島嘉右衛門のふたり。プレグランは中国・上海でガス燈の整備を行った後に来日。一方の嘉右衛門は”横浜の父”と呼ばれる人物で、同じ明治5年に新橋~横浜に開通した日本最初の鉄道敷設にも関わりました。

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第2回:明治② ガスと電気のライバル物語

 文明開化のシンボルとなったガス燈は、街角から室内にも普及していきます。上の錦絵は、銀座にあった商店の夜の様子。明るく照らし出された店内にはたくさんの商品が積まれ、手前では商談中でしょうか?洋装の紳士を含む3人が語り合っています。左端には物珍しそうに店内を振り返る男性の姿も。彼の目には今まで見たことのない明るい室内が、まぶしく映ったのかもしれません。ガス燈は夜のショッピングという、新しいライフスタイルも生み出したのです。

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第3回:明治③ 台所の風景を劇的に変えたガス

 照明の主役はガス燈から電灯へ。時代の変化にともない、ガスの用途は熱利用へ移っていきます。まずガス事業者が取り組んだのが、台所への普及でした。明治時代、食事の支度は夜明け前に起きて、薪や炭で火を起こすのが一般的でした。これは主婦にとっては重労働。しかも毎日のことですから、その大変さたるや現在ではとても想像がつきません。

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第4回:大正 最先端の暮らしを創造したガス

 デモクラシーやモダニズムが花開いた大正時代、都市部に暮らす庶民の生活は徐々に豊かになりました。モダンな暮らしを求める声に呼応するかのように、台所から始まったガスの熱利用もさまざまなシーンに広がっていきます。左の『瓦斯十題』は、そんな時代の息吹が感じられる広告です。真ん中の「瓦斯ストーブ 娘は猫を抱かぬなり」と謳われている娘さんは、初めて体感するガスの優しい温もりにさぞ驚いたことでしょう。それまでは寒くなると腕の中で湯たんぽ代わりにされていた猫もガスストーブの登場に大喜びのようです。

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第5回:昭和① 昭和モダニズム彩った国産ガス機器

 大都市が形成された昭和初期。東京は関東大震災から目覚しい復興をとげ、大阪は大大阪時代と呼ばれる黄金期を迎えます。街角にはモボやモガが闊歩し、サラリーマンという職業も生まれるなど、ゆとりを謳歌する人々も現れました。

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第6回:昭和② 豊かな食卓を彩ったガス

 終戦を経て世の中が落ち着きを取り戻した昭和26(1951)年、集合住宅の新しい間取りプランとして「台所兼食事室」が登場。後にダイニングキッチンと名付けられ、日本住宅公団(現:UR都市機構)が開発を推進、団地の建設ラッシュとともに普及していきます。  ダイニングキッチンは卓袱台からテーブルへと、食卓のスタイルを大きく変えました。また当時の炊事はとても重労働で、北側の土間でしゃがんで行うのが一般的でした。それが明るい空間で立ったまま家族と語らいながらできるようになったのは、当時の主婦にとっては夢のような出来事だったのです。

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第7回:昭和③ お湯のある暮らしはガスとともに

 団地ブームの到来によって、ダイニングキッチンと並んで浴室も身近な存在になりました。昭和30年代の後半には銭湯に代わって内風呂の普及率が6割に達し、毎日家でお風呂に入れる夢のような暮らしが実現します。この時代の象徴的な出来事として、昭和35(1960)年にポリ容器の液体シャンプーが発売され、それまでの粉末タイプや固形石鹸から使い勝手が大きく向上。月数回程度だった女性の洗髪回数は数日おきになり、身だしなみも洗練されたものになっていきます。

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最終回:未来へ 持続可能な暮らしをつくり続けるガス

 これまでさまざまなガス機器と暮らしの変遷を紹介してきましたが、締めくくりは「ガス」それ自体のモノ語りを紹介します。  都市ガスの原料は石炭から石油を経て現在は天然ガスが主流となり、大部分がLNG(Liquefied Natural Gas 液化天然ガス)のかたちで輸入されています。天然ガスはマイナス162℃に冷やすと気体から液体になり、体積が約600分の1に縮小します。これにより大量輸送が可能になり、大型のLNGタンカー1隻で25万世帯以上が1年間に使う量を1度に運んでいます。調達先はアジア、オセアニア、中東、ロシアなどで、まもなくアメリカ本土も加わろうとしています。